塾の先輩ストーリー その①

地元出身で、当塾の卒業生でもある菅田先生に、自らの中高生時代を振り返ってもらいました。

中学生時代(世田谷区立東深沢中学校)

当時の東深沢中学校は、良くも悪くも普通の「公立中学校」という印象で、優秀な生徒、やんちゃな生徒、スポーツで良い結果を残す生徒、根暗で物静かな生徒等など。学年100名程で、同学年ならどの生徒も顔なじみになれるような学校でした。
勉強面はわかりやすく、且つ面白おかしく教えてくれる先生、温和で優しい先生が多かったのですが、一部、怒らせると大変な先生もいました。ほとんどの授業の雰囲気は良かったのですが、生徒から好評でない先生の授業はやんちゃな生徒によって荒らされてしまい、授業がなかなか進まないこともしばしばありました。
部活動は盛んでしたが、当時はどの部活も成績が振るわず、弱小校だったと思います。ちなみに現存するテニス部やソフトテニス部、ダンス部、体力向上部は当時はまだありませんでした。私はサッカー部に所属していました。上下関係が厳しく、やんちゃな性格の先輩が多かったこともありましたが、なんとか3年夏の引退まで続けました。
 校舎は、私が入学する2年ほど前に新校舎になったので、とてもきれいでした。各階に給水機があり、廊下が広々とし、教室も木目調で、閉塞感はなかったように思います。
 行事や委員会活動に活発な生徒が多かったため、その準備や活動で教室に残る生徒も多数いました。私自身は、3年間生活委員会 (風紀委員のようなもの) に所属しており、委員長を務めたこともあります。

高校受験

私は中2の1学期にあさひ未来塾 (当時のあさひ学習塾) に入塾しました。2年の後半で特進クラスに移り、実戦的な勉強を深めていきました。おかげで英語と数学は比較的早い段階で柱となっていたので、それ以外の勉強に力を入れることができました。しかし苦手な国語と理科は伸び悩みました。社会は、比較的好きな教科で得点を伸ばせました。中学3年時の偏差値は平均して60~63くらいだったと記憶しています。
 定期テストは、試験の3~4週間前に徐々に課題に取り組み始めました。提出が予想されるワークはあらかじめ進めておき、2週間前には塾での試験対策を重点的に取り組めるようにしました。そのため提出物を出し忘れることはあまりなく、内申点は常にオール4をキープできました。
 私の高校受験は、今思うとかなりリスキーだったと思います。第一志望は都立新宿高校でしたが、そこに落ちたとしても納得のいく高校に行きたかったため、4校の私立高校に出願しました。現在のように私立高校との併願ができる学校が当時は少なかったため、私は私立校の併願確約を取りませんでした。出願したうちの1校が國學院高校でした。國學院高校は私立の中の第一志望で、ここに合格すると、都立の合格発表後まで入学手続きを延期してくれるため、ここの合格をまずは視野に入れて勉強をしました。
 数学と英語を得点源にしていた私にとって、國學院の問題は比較的とりやすく、特に数学の問題は過去問で常に80点以上が取れていました。英語は難問でしたが、それでもなんとか対応でき、その2教科で得点が稼げていたので、国語は平均点くらい取れれば受かることと確信していました。そして、読み通り國學院高校の合格を勝ち取ることが出来ました。
 並行して都立新宿高校の対策もしましたが、こちらはあまりうまくいきませんでした。数学と英語が得意であったとはいえ、自校作成問題の難易度がかなり高く、また内申点も受験生平均ほどだったこともあり、当日の得点次第という状況でした。そして、結果として不合格。発表の日は落ち込みましたが、前向きに挑戦した結果だったのですぐに立ち直りました。それよりも「早く高校生になりたい!」と思っていたので、目標を手に入れたことを受験後すぐに実感しました。
 受験勉強の時期に、実は音楽にとても興味を持ち、近所のTSUTAYAに毎週のように通い、CDをレンタルしては録音し、音楽を聴きながら勉強をしていました。お小遣いのほとんどを音楽に費やすほどでした。そのため、「CDを録音している時間は休憩時間」と自分に言い訳をしながらの勉強になっていたため、今思うと、けじめをつけて勉強に集中する時間をもっと増やしていれば、違った結果になっていたかもしれません。
 ただ、音楽にはまり、ギターが弾ける部活があるということで國學院高校や新宿高校が志望校となったので、目標は果たせたかな、と思います。

高校生時代(私立國學院高校)

中学時代と比べて、とにかく校則が厳しく、また毎週のように小テストがあり嫌でも勉強をさせられる環境でした。毎月頭髪検査があり、月末には床屋に行き、髪を切っていました。クラス全員携帯電話を所有していましたが、学校への持ち込みは禁止、違反すると没収され場合によっては保護者も呼び出されました。現在は分かりませんが、校則の厳しさは都内有数でした。
 しかし、授業はとても分かりやすく、受験に直結した内容でしたが、厳しい校則、宿題や小テストの多さによって入学後すぐに学校に不満を持ち、授業中に不真面目にしている生徒も多くいました。
 クラスが学年で13、全校生徒が1500名以上の学校なので、知らない生徒も多数いました。部活動は、弓道部が全国レベル、それ以外の部活も盛んではありましたが、成績は中堅どころの部活ばかりでした。私が所属していたギターアンサンブル部は男女混成の部活動でしたが、とても仲が良く、上下関係も良好であったため、とても結束力の強い仲間ができていました。私自身はクラスになじむことがなかなかできなかったため、部活がよりどころの3年間でした。高校を卒業した後も、部活動の仲間でしばらくは会うこともありました。

大学受験

大学付属校でしたが、受験熱が高く、他大受験を考えている生徒ばかりでした。そのうえで、オール3以上を取っていれば國學院大學へと進学でき、またオール4以上を取っていれば指定校推薦枠にエントリーできたため、内申点を確保する勉強が1年生のときから重要でした。私自身は、中学卒業からGWくらいまであさひ未来塾の方で高校の勉強をしており、それもあって最初の定期試験でそれなりの結果を出すことが出来ました。そのおかげで3年間大崩れすることなく、指定校推薦へのエントリーができたと思います 。
 指定校推薦から漏れた時点で一般入試への勉強を本格化しました。当時、私は社会科の教師になりたいと考えていましたので、2年生からの文理選択は文系を選択しました。一般入試に向けては私立の大学を視野に入れ、英語、国語 (現代文・古典) 、地理歴史科 (世界史) の勉強をしました。実は、現代文の模試の結果はしばらくの間30代後半でした。中学生のころから苦手であったことと、私の中でなかなか意識が上がらなかったためです。ただし、受験を目の前にして、様々な問題集や参考書を目にすることで私自身の課題に気が付くことができ、それを克服できたころには、入試で得点源にすることができたと認識しております。
 また、高校3年生になる時期に、あさひ未来塾へと再入塾し、定期的な勉強習慣が得られたと思います。私自身、高校2年生の終わりまで部活にかなり比重を置いていたこともあり、受験勉強に時間をかけてすることが出来ていなかったので、最終的には第一志望校からは1ランク2ランク落ちる大学への進学となってしまいましたが、部活を精一杯できたことと、その後の大学生活が楽しめたこともあり、納得のいく受験勉強だったと思います。

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