今年も、76回目の夏、8月6日がやってきます。私事で恐縮ですが、私の父親は「尾糠政美(おぬかまさみ)」と申します。太平洋戦争の際、日本陸軍船舶司令部の写真班に属し、フィリピン等東南アジアでの戦いの様子を写真に収めた後、広島の原爆投下に遭遇し、被爆しました。幸いにも自らはほぼ無傷だったため、上官の命令のもと、行方不明の母親を探しながら、原爆投下直後の広島市内の光景を撮影して歩いた人間です。ぜひ、インターネットでこの名前を検索してみてください。
父は戦後、島根県で私の実家である「オヌカ写真館」を営みましたが、両親も、店を継いだ兄も数年前に他界したため、店は廃業しました。その実家には父が遺した原爆に関する写真集や関連書籍が約80点ありました。それらは現在、縁あって私立聖学院中高様(東京都北区)の図書館に保管され、数校の私立学校の生徒たちの平和教育に活かされています。大変嬉しいことです。
このコロナ禍、私は手元にある父の自筆の略歴を改めて見返しました。そして、もし自分だったら・・・と想像してみました。
- 昭和16年5月 広島船舶司令部第2940部隊入隊(20歳)
- 昭和17年10月25日 広島市宇品港出発
- 昭和17年11月 2日 ニューブリテン島 ラバウル上陸
- 昭和18年 4月14日 フィリピン セブ島上陸
(中略)
- 昭和19年 4月 広島市宇品港 着
- 昭和20年 8月6日 原爆投下 死体の処理 患者の収容 惨状の写真撮影
- 昭和20年 9月 船舶司令部にて軍属解除
新型コロナウイルスによる現状は確かに未曽有の国難ですが、自らの注意や努力である程度回避もコントロールもできます。しかし76年前の戦禍ではそのような自由は全く無い中で、国のため家族のために皆が懸命に生きていた、と聞きます。単純に比較はできませんが、時代によって、人生観、死生観は大きく異なり、その歴史から学べることは少なくないと私は思います。
毎年この時期には、この想いを書かせてもらっています。
ぜひご家庭でも「平和」について考えて頂ければ幸いです。
以下は、父が生前(2005年)に中国地方の新聞に取材されたときのものです。